korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。

権利の売買ってなんだよ

 晴れている。

 

 もう梅雨明けか。

 

 

 

        思ったこと

 オリンピックのこといろいろ話題になっているけれど、私の一番の疑問は放映権ってなに? だ。

 

 この、なに?は、内容について詳しく知りたいというよりはどうして開催国でもない他国の人間がよその国が準備したイベントに首を突っ込んで金儲けができるのか、という素朴な疑問なんだけど。開催国(開催都市)のテレビ局が全世界に放映してお金をもらえる、くらいのシンプルさでいいのに。

 

 映画やテレビの有名人の肖像権を売買するとかいうニュースも意味不明だ。権利がそれを持っている人間から離れてどこかにいってしまう。それに本人が縛られる。なんだそりゃ。

 

 理屈なんていくらでも作り出せてかさ増しできるのだから、こういう屁理屈の暴走は抑えないといけないのではないか。屁理屈がゴーストや怨霊のように悪さをしている。ちゃんと抑えないと。

 

 

 ざっくりした皮膚感覚の意見だけれど形のないものの売買は罪が深そう。というかよこしまな感じがする。合法・だけど悪いこと、みたいな感じ。

 

 オリンピックは名誉というより金儲けになっていて、名と実が完全に離れてしまっていると思うので場所を提供した人間は高額なショバ代を取ればいいのではという気すらする。少し悲しい。

 

 

 何で熱くなるんだろう。やはり自分のトラウマに触れてくるからだと思う。かつてうちの中をめちゃくちゃにした人間は謝るどころかものすごく偉そうだった。

 

 自分自身を騙すのがものすごくうまいといった感じ。どこかに常人ではわからないような立派なことがあるから平気、みたいな。屁理屈は他人を騙すためというよりは言っている側が自分自身の良心を騙すためにある。そういう人たちにはどう対処すればいいのだろう。

 

 躾は大事。世の中は自分の頭の中で考えているようにはできていない。人間の認識能力には欠陥がある、だから好き勝手やってはいけない。好き勝手やったら大変なことになる。(これって仏教的な考え方なのだろうか) そのことをどうやって教えるのか。

 

 ベラベラ理屈を言われても「そういうことじゃねえんだよ(わかるだろ?)」といった風。めんどくさい大人だ。というか昭和の大人。

 

 最近は何でも理屈で説明しなければいけない。でも他人がくれる理屈に依存しなければ考えられないようでは困る。自分の中で答えが出せる、それが大人。そういうことだと思う。だから理屈を言うようでは困るのだ。

 

 極端な例を出せば、立派で合理的な理屈を言われたら他人を殺してよくなるのか? そこで(?おかしいな)と引っかからなければいけない。ということか。

 

 

 ものすごく偉そうなことを言ったけれどもそういうことではないか。

 

 子どもみたいなおっさんが大人って何だろう、と少し考えてみた。自分のトラウマも絡んでくるからかなり一生懸命に考えた。

 

 

 自分みたいにメンタルの不調を抱えている人間は、特に理屈でなく目に見えて触れられるものを基準に考えないとおかしくなる。だからよそのことに熱くなって時間を取られるのはやや危険。他人事だしきりがない。その間もどんどん歳を取る。死は待ってくれない。なにかやることがあったのではないか、ということだ。