korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。

眠れずに考えたこと

 曇り。

 

 少し動くだけで汗が出る。

 

 

 

       思ったこと

 夜になっても気温が下がらない。湿度も高く眠れない。香港とか東南アジアはこんな感じなのだろうか。

 

 考えごとをする。もちろんただの自分の妄想。ステロタイプなものの見方を土台にしている。(そうやって単純化しないと考えられないか)

 

 日本人は自己主張とか個性とかを悪いものとする。”正解”よりも協調性を重視する。理由はかなり明確にあるのだろうと思う。資源が乏しく狭い島国にたくさんの人間が暮らしていくにはどうすればいいのか、ということだと思う。狭い島国なのでトラブルを起こすと全体に影響するし、何かかあったときにどこかに逃げて再起をはかることは簡単ではない。

 

 で、我慢することになる。

 

 対してよその国(アメリカのことだろ)は自己主張が激しくないと生きていけない。行ったことないので知らんけど。ただその国から帰ってきた人を見てそう思っただけだ。

 

 

 我慢我慢で潰れてしまうのは自分の国のことだけを考えればいい時代でなくなった今は自殺行為だと思う。相手と戦う前に内輪で足を引っ張りあって勝手に潰れる感じ。だからといって自己主張をガンガンやって他者にものすごい迷惑をかけるのもおかしい。彼らは反省しない。(アメリカから帰ってきた人を見て思った第一印象は能力はものすごく高いけれど子どもだなあ、ということだ。まあ仲良くなってしまえばそんなこと関係ないないかもしれないけれど)

 

 

 なんなんだろう。これ。考え方の違いというか、人間の煩悩や欲望をどう扱うかの違いのような気がする。

 

 (昔の一部の)日本人みたいに自己主張とかを頭ごなしに否定してしまうとそれ以上成長しない気がする。かといってすべて認めてしまうのもおかしい。認めてしまうとものすごいパワーを発揮するがまわりが滅茶苦茶になる。いいように思えるのは尻拭いしてくれる誰かがいる間だけか。それって象徴的な親なのかもしれない。

 

 

 昔大学の一般教養で履修していた哲学の授業で哲学者で教育家のジョン・デューイの言葉について教えてもらった。詳しい内容は忘れてしまったが、

 

 ”「子どもは太陽」と彼は言ったけれども、それは子どもは原子力エネルギーと同じだ、という意味です。ちゃんと訓練すれば100万人の命を救うが、そうでなければ100万人の命を奪うこともある。”

 

 それで教育の重要性を説いた、ということらしい。それが日本では「子どもは太陽」という言葉だけ独り歩きしてしまっている。そんな内容だったと思う。言葉やシステムなどを、内容や成り立ちを考えないで絶対化・神格化して拝みだしてしまう、というのは大変日本人らしい発想なのかもしれない。

 

 

 何が言いたいのか? 人間の中にある”困ったちゃん”にどう対処するか。それを人類は長い間考え続けたということか。一方は全否定して自分や身内を殴り続けていて、他方は全肯定して他者を殴り続けている。それでどちらも問題になっている。問題の対処が雑。というまとめでいいのかな。ざっくりとしているけど。

 

 自分の取り扱いはもう少し身を入れて慎重に時間をかけて、ということか。困ったちゃん、なんて言ってしまったけれどそれも自分で敵ではないし。うまく取り扱うことで強力な味方になるのかもしれない。そういった洗練されたやり方があるといいな、と思う。

 

 

 まーた青臭いこと言っている。だって夏だし、眠れないし。と開き直る。

 

 

 

   今週のお題「住みたい場所」

 居心地のいい喫茶店があるところがいい。暑くてたまらないときに避難できるようなところ。中国の「冰室」についての記事を読んだときにそう思った。

 

 ・・・最近湿度高すぎだよ。ふやける。