korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。

近すぎると問題に対処できない

 今日は雨。気温も低い。

 

 ネット回線が日に日に不安定になっている。

 

 コロナの予約に回線を使っているため?

 

 もしそうだったらちゃんとアナウンスしてくれ

 

 理由がそれだったら我慢できるから。

 

 気持ちや心意気の問題。

 

 (あるいはテレワークのせいか)

 

 

        思ったこと(今回ほぼ愚痴です)

 自身の家族の問題についていろいろと考えてそれなりに整理されてきた。

 

 だからといって問題が軽減されたかというとそれはなかった。

 

 むしろ問題が見えすぎてつらい。乖離やごまかすことや逃避の重要性を改めて知ったくらいだ。まさかこれらが積極的?に役に立つとは思わなかった。

 

 (父方の家系が酒でボロボロになったのを目の前で見ているので怖くて酒に逃げる?ことはできない。よかったのかもしれないけれど、まいった。逃げ場がない。クールに醒めていたいけれど限度ってものがある)

 

 

 問題に近すぎるのだ。問題に手を突っ込むとまわりのすべてに影響が出てしまい返り血?もあびるしダメージも受ける。心身の健康状態がかえって悪化する。

 

 問題が固定してあるわけでもなく、まわりにも精神状態が不安定な人や好き勝手に動き回る人が大量にいる。問題そのものが変化していく。下手なことはできない。

 

 TVゲームでたとえたらローグライクというジャンルみたいだ。ゲームをプレイする度に毎回毎回地形や宝箱の位置が変わってしまってこれまでの努力がまったく役に立たない。だから新鮮な気持ちでゲームができるということだと思うが、現実世界がこれではたまらない。毎朝目が覚めて全く新しい問題に立ち向かわなければならない。

 

 (おじさんは物事をなんでも野球にたとえる、というが、私は何でもゲームにたとえている気がする。新しいおじさん? 新しいんだか古いんだかわからない言い方)

 

 話が脱線した。ケアする人がある程度距離を取るのは問題に巻き込まれないためだった。それは理屈ではわかっているつもりだが結構切ない。おぼれているのを岸から眺められているような感じだ。ケアする人が恨まれることがあるというのはこういうことかもしれない。

 

 ここでこそ耐えろ、我慢しろ、前に進めということだよな。それができるのには情緒的な安定が必要だとケアを受けてしみじみと思った。情緒的な安定にはスキンシップがとても役に立つ、それも学んだ。子供時代にそれを済ませておくことは大事だった。ここで失敗すると努力そのものができなくなる感じか。

 

 仕事もやって親業も完ぺきにこなせというのかよ、バーカ。・・・なんだこれ。こんなものが自分の中から出てきた。自分の中にはいろいろな問題が詰まっている。これって俺の問題なのだろうか。それとも他の誰かの? いろいろと混線している。

 

 

 

 自身の問題は端的に言って環境が悪いということか。移動できる人は移動したらいい。それって結構恵まれた人だと思う。財力だけでなく人脈や気力・体力的なものも含めて。そうでない人間はここでなんとかするしかない。

 

 

       その他のこと

 「ケーキの切れない非行少年たち」(宮口幸治著 新潮新書)を読んでいる。情報が濃すぎてコメントできない。考えるのに有用な話が満載だ。

 

 

   今週のお題「雨の日の過ごし方」

 

 今日は雨だ。気温も低い。暑いのが苦手な自分にとっては恵みの雨。

 

 頭もよく回る。晴耕雨読というのは本当だった。

 

 私は本は読むけれど映画は観ない。アニメも観ない。洋楽は聴かない。子供の頃しなかったことはしないということだ。リストにすら入らない。TVゲームはしないけれどいまだに興味津々だ。昔は本とゲームが話し相手だった。