korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。

選択肢がないことの幸せ

 晴れ。すさまじい晴れかただ。

 

 こんなの年に何回もない。

 

 こういうのをピーカンというのだろう。(昭和的な表現)

 

 気分がとてもいい。

 

 自分みたいにメンタルに不調を抱えている人間はかえって揺り戻しが来て具合が悪くなるのではと不安になる。

 

 

 

        夢を見た

 ついにオリンピックが中止になるという(あくまで夢の中の話)。

 

 とある女性(姿は見えず)が大騒ぎして私にどういうことなのか調べてこいと言う。

 

 出かける。これまた姿の見えない別の女性と一緒。山を登る。途中からレールの上を走るトロッコに乗る。

 

 トロッコの終点で降りる。広めの道路がある。これだったら最初から車で来たほうがよかったのでは。そこには古いスポーツタイプの車が用意されていてそれに乗り込む。

 

 車はMT車でうまくギアチェンジできるか心配だったが難なくギアが入ってホッとする。

 

 山の頂上付近に来る。そこは集落があり立派な駐車場とスーパーがある。

 

 駐車場らしき場所に車を入れる。そこにいた子供たちにここは自転車専用だと注意される。車を手でつかみ移動させる。まるでバイクのよう。

 

 正しい場所に駐車して公民館のような場所に行く。そこにはスポーツ関係者や記者が集まっている。何かの発表があるらしい。

 

 どうも中止になって浮いた予算を相撲部屋にあげることに決まってそのことでもめているようだ。

 

 前にいる男性が何で相撲部屋なんだよ、サッカー協会にくれよ。と言う。

 

 横にいたまげ姿の力士がすまなそうな顔をする。なぜか若貴兄弟のことを思い出す。(終わり)

 

 

 

        思ったこと

 目が覚める。なんだこの夢は。若貴(もちろん息子のほう)なんて久しぶりに思い出した。

 

 後ろ向き大好きな自分はまた思い出す。確か貴花田に負けて千代の富士は引退を決めたのだったな。一つの時代の終わり。

 

 千代の富士は圧倒的な存在感があった。今よりも昔のほうが力士に存在感があった気がする。

 

 相撲だけでなく、野球もそうだった。自分が歳を取ったせいか。今のほうがすごい活躍をしている選手がいるし。

 

 そんな気分になったのはJリーグができたころからだろうか。いきなり地元にチームができた。いや、いきなりではなくアマチュアとしては長い歴史があったのだけれど。それは後から知った。

 

 そのあとからたくさんのスポーツをTVでやるようになり相撲、野球はただのコンテンツの一つになってしまった。衛星放送の出てきたころだった。

 

 よく考えてみたらスポーツをする習慣のない私は新しく中継されるようになったスポーツどころかサッカーも野球もしたことがない。それに気づいて急に興味がなくなった気がする。私には関係のない出来事。

 

 子供のころも関係なかったのになぜ自分のことのように見ていたのだろう。不思議だ。

 

 子供のころはTVで中継されるスポーツといえば、相撲・野球、あとはプロレスくらいだった。衛星放送もなかったし地上波(この言い方は衛星放送に対しての呼び方だろうか? 子供のころはしなかった気がする)がすべてでほかに選択肢はなかった。それは皆同じだ。

 

 つまりそれが世界や環境くらい大きかったということか。それぐらい存在感があったから我がこととして受け止めることができた。

 

 皆が見たり思っているから我がこととして受け止められる。変な感じだ。

 

 受験みたいなものだろうか。受験の話は大体皆通じる。結構な数の人たちの共通の思い出。あー、そうだった。的なことで盛り上がれる。

 

 皆の共通の体験が”我がこと”か。

 

 それでも時々他人事としてスポーツ中継を見る。海外のドキュメンタリーを見るくらいの距離感でだけど。

 

 

 

 今の共通の体験はなんだろう。コロナだ。不幸な体験だけれども世界共通レベルでの記憶になる。それを思い出して”皆の我がこと”として話す日が来るのだろうか。