korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。

やはり言葉は大事だった

 晴れ。今朝が一番寒い。

 

 この前みたいに汗ばむくらいの陽気で

 

 油断していると突然季節感を出してくる。

 

 

      夢を見た

 学校の校庭が沼地になっている。大きなウナギが泳いでいる。それよりも蛇やヒルが気になる。

 

 若者に説教している。ネットじゃないんだから言葉遣いには気をつけろ、と言う。若者はあまり聞いていない。(終わり)

 

 

 

      思ったこと

 目が覚める。若者に説教するなんて変な夢だ。それにしても若者はいうことを聞かない。

 

 自分の世代でも大人の言うことなんてろくに聞いていなかった。大人を馬鹿にしていたのか斜に構えていたのか。でもその態度だと相手から学べなくなる。そのことでだいぶん損をしている。

 

 そういえば何かの価値観や思想を体現しているような大人に会ったことはないな。昔はそういう人がいたらしい。複雑な大人。

 

 

 

 これまでいろいろ書いてきて思うことは、やはり言葉は大事だ、ということだ。ネットやテレビでは罵詈雑言や茶化す言葉だらけだけれども、あれは皆はそれ以前のベースができていますよね、という前提で話しているのか。

 

 いやそこまでまじめに考えているわけではないのかもしれないけれど、約束は守るとか、相手の言ったことをちゃんと受け止めたうえで言葉を返すとか、一つの流れに沿って話し続けるとか。

 

 そのレベルのことができていないと議論などの積み上げができない。今頃になってやっとそのことが分かってきた。おっさんが言うには青臭すぎる言葉。

 

 

 父(飲んだくれ、まともに話したことなし)、母(自分が絶対に正しいと言わなければならなかったらごまかしや暴力の出番)、姉(かなり重い障害がある。生前に意思の疎通ができたことがなかった。やや悔やまれる)

 

 (このブログでは自分の記憶を探ってこれまでに起きたことを整理しています)

 

 以前お世話になったカウンセラーはそういったものを見て育ったのでそれが自分の世界になってしまったのでは、というようなことを言っていた。それはこういうことだったのだろうか。

 

 言葉というものがどういうものなのか今一つわかっていなかった?

 

 言葉が意味を持たない世界ではいくら学んでもその意味が分からない。何も積み上がらない。

 

 他人を引っ掛けたり騙したりいい加減なことを言う。そういう世界で生きていると言葉を「そのまま」受け取るというのは本当に難しい。言葉に意味がないので言外の意味を取ろうと必死になる。他人と話していてものすごく疲れる。

 

 いろいろ書いてみるがよくわからない。

 

 

 昔両親と話していて、心に鋭い痛みを受けることがあった。その部分がまさに大事だったのではないだろうか。

 

 大事なものがないがしろにされている痛みだった? 昔は自分が子供で弱いから痛みを感じるのだと思っていたがそうではなかったようだ。自分のセンサーは正常だった。その痛みがつらいから乖離したのだろうか。こんなのただの説明だけれども。

 

 

 ここ数か月書き続けて相当素朴なところまで来てしまった。不思議なことだ。

 

 他人が読んでもチンプンカンプンだろうな。

 

 

 注:この文章は自分の記憶を整理するために書いています。家族や誰かを中傷する意図はありません。