korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。

誰かのことを考えられるようになるのはその人がいなくなってからだ

 曇り。肌寒い。

 

 

      夢を見た

 昔の同級生二人と私の姉(故人)とで歩いている。駅に向かっているようだ。姉は障害持ちなので疲れてしまわないか心配だ。

 

(この「障害」という漢字は最近表記の仕方が変わってきた。「障」「害」という字がよろしくない、ということだろうか。でも書き方が変わっても問題はそのままだ。変わったことで問題そのものが見えにくくなったり、あるいは問題がなかったことにされないかと、心配性の私は思う。障害は個性だ、という気持ちもわかるけれど「健常者」にくらべて困難がたくさんあり、ケアの必要があるのは事実だ)

 

 

 途中に八百屋がある。知り合いの男性が買い物をしている。かなり買い込んでいて景気がいい。

 

 しばらく歩く。駅前までくる。「姉の心配が重い」と私は同級生に言う。同級生は暗い顔になる。そりゃそうだよな。こんなこと他人には言いづらい。

 

 とりあえずコンビニで休ませる。あたりに喫茶店でもないかと見渡す。(終わり)

 

 

     思ったこと(かなり暗い話です)

 目を覚ます。思い出す。姉の圧倒的な存在感。あの人は動かせない。こっちが動いたり譲歩したりしなければいけない。例外はない。また新しい要素だ。

 

 (これまで書いたブログの中で家族の問題について散々書いています。たくさんありすぎるのでリンクは貼りませんが)

 

 母やら姉やら宗教やらの都合で家の中はいっぱいだった。動かせない(やむを得ない事情で)・動かない(絶対に自分が正しい)という人たちだらけだった。会話は成り立たない。自分の入る余地はない。疲れたり具合が悪くても休めない。

 

 自分が具合が悪くなったら、いろいろな意味で裏切り者扱いだった。ただでさえ大変なのに、とか、あんたが具合悪くなったらこっちが間違っているみたいじゃないか、とかそんな感じだ。彼らは無自覚にそれを押し付けてきた。

 

 面と向かってはっきりと言われたわけではない。でもそういう言外での表現の仕方もある。彼らが反省しない部分をこっちがかぶらされる。事実彼らは具合の悪くなった人間に対して親切な我々、というスタンスをとっていた。そういうことを書いたペーパーを見たことがある。ますますひどい。黙殺というやつだ。

 

 彼らは内輪の理屈に徹して外側からのフィードバックは効かない。今思い出しても気分が悪くなる。(読んでいて不快な気持ちになったらごめんなさい)

 

 ただでさえ具合が悪いのに面倒くさい人たちに向かって声をあげられるわけないじゃないか。

 

 今ならそう言える。結局何を信じてもただの愚かな人間だった。人間のその部分は変わらない。だから思ったからといって好き勝手やってはいけない。

 

 だけれどもただの人間がなんであんな暴力的で訳のわからないことができたのだろう、という素朴な疑問はある。

 

 限定された情報の中に囲い込むところに肝があるのかもしれない。彼らの土俵に引きずり込まれていつの間にか彼らの言語で考えるようになっている。そうなればもう彼らが正しい、というしかなくなってしまう。

 

 でもそんなの世界のほんの一部分にすぎない。というかそもそも人工物だ。世界そのものについて認識したり表現することはできないらしい。だから言葉はいつも偽物というかそのままでは力がない。絵に描いた餅を他人に食べさせようとしてはいけない。レシピを見て再現する作業が必要。

 

 

 こういうことについてやっと自覚できるようになったのに姉が亡くなってから10年以上たってからだった。それまではそんな余裕はなかった。

 

 もちろん姉の手助けをしなければいけないが、他人のこと・世間的なことをトラブルなくできるようになるのには、個人の内側の世界が満たされた後のことだった。そのことは他人から何と言われようとはっきりとさせておかなければいけない。

 

 個人の成長にとって必要なことや他人にやってはいけないことは明確にある。どうもそうみたいだ。いくらきれいな理屈を言われてもそこは曲げてはいけない。

 

 

 これは悪口ではなく、滅茶苦茶なことだらけの自分や自分のまわりで起きたことを整理して筋道をつけておかなければならない、ということです。無論言いたいことはたくさんあるけれど。

 

 本当に暗い話だ。「あたしの人生暗かった」と歌ったのは誰だったか。

 

 

注:これは自分のところで起きたことについての個人的な意見を書いているだけで宗教全般を否定する気持ちはありません。