korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。

まともな大人にそばにいてほしかった

 晴れ。寒い。

 

 もう春一番だそうだ。早すぎる。まだ眠っていたい。

 

 4月ごろには30℃を超えるのではと不安だ。

 

 

      夢を見た

 丘陵の中腹の野原にいる。野球をやっている人がいる。

 

 私は犬と遊んでいる。太めの大型犬だ。雑種らしい。(終わり)

 

 

 目が覚める。犬を相手にしているときにはこちらの感情を一方的に押し付けている。それを人間相手にしたら問題だよな。子育てとか。

 

 犬と遊ぶのにそんなこと考えることないのに、とも思う。

 

 

      思ったこと

  昨日の続き。korenannan.com

 

 なぜあんなに落ち着きなく、ワーワー騒いでいたのか。

 

 夜眠れずにぼんやりと考えていた。「住宅地」という言葉が浮かんだ。

 

 自分は片田舎の住宅地で育った。住宅地なので当然まわりに働いている人はいない。

 

 働いている人どころか商店すらない。生活の匂いがまったくしないエリア。

 

 気分転換もできない。それにお店があると自分とまったく違う境遇の人間と会う機会もある。それもない。

 

 働いている人を間近に見ることができれば自分がやりたい職種や社会の仕組みも漠然とだけれど見えてくるのでは。

 

 そうか、あのワーワー騒いでいる人たちや私にはロールモデルとなる大人がまわりにいなかったのか。そういう環境の問題。

 

 そんなことを思った。

 

 核家族なので親戚とも会うこともないし、それどころか両親が共働きだったら家族がなにをしているかもわからない。

 

 見て学ぶというのはとてつもなく重要だった。まわりにそういうものがあるというのは財産だった。

 

 

 

 自分の場合、まわりにいたのはろくでもなかったり疲弊しきっている大人ばかりだった。そればかり目についた。

 

 正直ふざけんなコノヤロー、と思った。それも逆向きの財産か。反面教師ともいう。

 

 でもそれだとマイナスからのスタートになる。

 

 自分がこうやって考えられるようになったのも彼らのおかげかもしれない。

 

 自分は本来怠け者だと思うのだが、あの人たちに軽く(時には重く)生命の安全などを脅かし続けられたから真剣に考えるようになった、ともいえるのでは。たまったもんじゃないけど。

 

 時々来る不安につつかれ・怯えながら考える。これをフラッシュバックというのか。かなり精神力を削られる。ゲーム用語的に言えばSAN値(sanity 正気)を削られる。

 

 まともに生きていくことも難しくなるがそのおかげで考えることができている、とも言えるのだろう。

 

 ・・・いいのかな。というか、この状態からなんとかやっていこうと思うから考えるんだ。

 

 ・・・いいわけないじゃん。

 

 「詩人は幸せになってはいけない」と言う。そういうことなのかな。少し違うか。

 

 

 

 結論としてはまわりにいる大人は子供にとてつもない影響を与える。まわりに様々な職業をしている大人がいて、それを見ることができるというのは子供の成長にとってとても大事だ。

 

 ということだ。