korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。

遊びが備えになる

今週のお題「もしもの備え」(その3)

 

 

 自分はメンタルが弱くそれを見越した備えが必要、と以前に書きました。

でもメンタルの備えって何だろう。

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それでいろいろと考えてみた。

気づいたことは子供のころの遊びや経験がメンタルの強さという財産になっているのではということだった。

 自分は子供のころヒーロー戦隊ものロボットもののアニメなどいわゆる暴力的なTVを観てはいけないという家庭で育ちました。それはそういうものを観ると暴力的な子供に育つ、ということだったのだろうと思います。子供心にも自分はそれは何かおかしなことを言っていると思いました。なぜならその”暴力的”なTVを観ている子供たちのほうがどう見ても元気で生き生きとしているように見えたからです。

 大人になってもそのことが心のどこかでひっかかっていて心理学の本などを読んだりセラピストと話したりしました。結果わかったことは子供のころの遊びやTV番組などが想像以上の力になっているということでした。ままごとやぬいぐるみで遊んだり、虫取りや戦争ごっこなどが大きくなってから心の余裕につながっている、そういうことでした。自分は苦手なりにそういうのに参加をしていました。(今の子供はやるのでしょうか。自分やまわりが忙しすぎてそれどころではないのでは、と勝手に心配します。相手がいないとできないことなので)

 そこに気づいて驚きました。同時に痛みが来ました。そういう環境で育ったとはいえ自分はなんてことをしてしまったのだろう、という後悔の痛みです。過ぎてしまったことはどうすることもできない。

 備えは後の幸せのために予めやっておくものです。自分の親も”良かれ”と思ってあれをやったのだろう。でもそれが道理に合っていなかった。そういうことでした。子供のための作品には力がある。自分もまさかドラえもんがあれほどパワフルだとは最近までわからなかった。

 

 禁止されていてよかったことですか? ポジティブシンキング?の弊害は反省できなくなることだと思います。それでもあえてやっておくと、日本にいながら外国に来た気分になれます。まわりと話題がまったく合わないし。カミュの異邦人を読んで「ああ、わかるわ」となってしまいます。精神的な根無し草になって非常にしんどい思いをします。このように屈折した性格になるのも禁止された効果なのかもしれません。

 でも、文学作品を味わったり理解することとその世界に住むこととではとてつもない違いがあります。ホラーを楽しむのとその世界に放り込まれるのとどっちがいいですか? ということです。要するによくないです。やめましょう。こういうことは。

 

 また脱線してしまった。

 

 

 

 

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

  • 作者:カミュ
  • 発売日: 1963/07/02
  • メディア: 文庫